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二人の李氏 李登輝とリー・クァンユー(李光耀)其の2


今年7月22日に李登輝氏が衆議院会館で多数の国会議員を前に講演を行った。その中で氏がリー・クワンユーとの違いに言及した。そこには民主主義に対する深いテーマが横たわっている。

台湾の李登輝シンガポールのリー・クワンユーは共に1923年生まれ。共に客家の家系で、一方はイギリス統治下でハリーという英語名を使い、もう一方は日本統治下で岩里という名前を使っていた。二人の共通点は外来政権統治下での経験を基に、どのように国としての独立し、主体性を回復するか、自分の人生を自分で決定できるようにするか 、生涯を掛けてテーマにしていること。また両者共に、心の中心にそれぞれシンガポールと台湾を宿し、自己意識と国家が限りなく重なりあう。

国をどのように統治し、国民をどのようにまとめていくのか 。彼ら二人の目指すところは同じだ。しかし信じる道は異なる。リー・クワンユーは民主主義や自由を制限してでも、統治を優先し国家を運営する。また英語を話せども、西洋的な価値に対して、アジア的価値(儒教的価値)を重視し、個人よりも家族や共同体。目上のモノへの尊敬を重視する。最近シンガポールで16歳の少年が、リー・クワンユーの批判をYoutubeにアープロードしたため 有罪となった。下のものが上のものを批判することには厳格に対処する。

李登輝は民主主義を、国民をまとめる土台と考えている。 民主主義は自律した個人が、主体性をもとに投票しなければ、個々人が参加する意義がない。だから中国的な価値、特に儒教的な従属的な関係を強いる思想は、民主主義とは相容れずむしろ、皇帝の専制政治をもたらし、それが古代から現在の習近平の政権まで続いているのが中国の本質とする。だから民主主義を取り入れた台湾は、既に中国とは全く異なる存在であり、中国的(儒教的)な価値をアジア的な価値と呼び、奨励するリー・クワンユーの態度は、李登輝と相容れない。

国を統治し、国民をまとめるには民主主義は有効なのか。現在台湾では、選挙のたびに、外省人内省人が別れて対立する。マレーシアは民族ごとに政党が別れ、イラクなどのアラブ諸国専制政治から民主主義に移行した後、政治的混乱がもたらされた。古代ではジュリアス・シーザーがローマを共和制から専制に変えた。

西洋人のように主体性を確立するためには、子供の頃からの教育から変えなければならい。子供でも理に適うなら親に意見するなど議論を推奨する価値観 。個人を中心に据えるには、個人の自由や権利に伴う、責任や義務に対する理解が必要であり、且つ社会に対する個人の影響(微々たるものでも)に考慮する教育・価値観が必要となる。個人主義的な西洋が、環境保護や人権に対して、ことさら介入的であるのも個人主義だからこそ、社会的な考慮が価値観として浸透しているからだ。 個人主義の弱い点を、強い市民意識などの社会価値観で補完しているのだ。さらに強いて言うと、西洋の一神教的価値観は、世界の現実・真理そのものである神を自己の中心に置くことで、謙虚に良い現実、悪い現実に関わらず、ありのままに見つめ、学び、そして修正していく論理を内在していと自分は考える。

最後に両者の違いは、李登輝は長老派の敬虔なキリスト教徒、リー・クワンユーは無神論者。李登輝の中国的価値を否定した個人の主体性の尊重、そして民主主義に対する信頼は多分にキリスト教的なのではないだろうか。

参考
https://www.youtube.com/watch?v=W-JF9mS-HDo
https://en.wikipedia.org/wiki/Amos_Yee

新・台湾の主張 (PHP新書)

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