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中文老師

3,4年間師事した中国語の先生が癌で亡くなった(既に数年経つ)。長年日本人への中国語教育に台湾で携わってきた方だ。図らずとも自分が最後の生徒となった。

 

ご家族は福建省福州出身であり外省人。ビン南語とは異なる言語を話す。どんな質問にもすぐに答えるのもそうだが、いつも明るく自分の中国文明論等に感情豊かに反応してくれ、話やすい環境を提供してくれた。職場では政治論や、歴史などを話すことは適切ではなく、語学学校は職場とは異なる話題を話す特別な機会。

 

台湾の中国語教師は、第1世代が国民党と一緒に台湾に渡った人々。第2世代は外省人の家庭から選ばれ、第1世代について学んだ人々(発音に耳を立て盗むように学んだといっていた)。第2世代に該当する先生は、高度成長時代日本の商社が、台湾で2年間という長期に渡り海外留学をさせるだけの余裕があるときに多くの日本人生徒達の中国語教育に携わった。

 

毎年日本の商社から来る若者は同じ年頃なため、最初は妹のように扱われ、そして姉のように扱われ、そして母、叔母のように扱われるようになっていったという。日本の商社によっても特徴が異なり、特に三菱は体育会系で飲み会で羽目を外す度合いが抜けていたそうだ。どのような日本人が中国語がうまくなり、自分の中国語のレベルはそれら過去の商社の人と比べてどのぐらいなのか、非常に知りたく何度か同じ質問をしたが、人との比較をしない人だった。

 

自分がNHKラジオ中国語で学んだ、謙遜を表す表現「还差得远呢(自分は、及ばず、まだまだです)」といったところ、突然笑いだし「離哪裡差得遠?どこから及ばないの?」とそれは中国大陸的な表現だと教えてくれたことを今でも思い出す。

 

台湾での中国語教師は上の世代に行くほど外省人が多く、国民党支持者だ。彼女も馬英久の熱烈の支持者で、李登輝は嫌いであった。また近い将来、中国との統一は当然と考えており、自分に違う観点からの台湾人像を与えてくれた。彼女にとっては中国大陸は父が生まれた故郷であり、自分の兄弟や親戚が暮らす場所である。

 

中国大陸の歴史を学ばず、台湾の歴史を学ぶことを推進する民進党など、中国古典を愛する彼女にとって許容できることではない。そこから抽出できる人生訓の厚みが比較にならないほど差があるからだ。李登輝の「私は日本人だった」などの発言は、親の世代が日本軍戦ってきた外省人にするれば、自分たちのリーダーとしての自覚のかけらもないことを露呈している配慮のない発言。台湾語の推奨なども、上手に話せない自分たちを排除する政策と他ならない。

 

ある日、日本人の生徒が一週間語学留学に来ているが、お金の節約のため公園で寝泊まりをしていることを教えてくれた。その根性に驚愕した。また、非常に年老いたおじいちゃん生徒の家を訪問して教えていたことを知った際、「その方の中国語の進歩の度合いは?」と聞くと、「その人には進歩は関係ない。きちんと丁寧に学び続けていることがすごい」と返答された。商社から派遣されテストの成績が本社に報告されるため、常にストレスにさらされている生徒など。聞く度に自分はその生徒達よりも中国語が上なのか、下なのか気にしていた。ただ今思うと、人との比較より自分が継続して努力をするほうが本質的に重要だ。

 

常々中国語教師は自分の天職だと言っており、教室を明るく楽しい時間にしてくれた老師に感謝しつつ。