幸福感
カンボジアに移住して5年目に入る。近年、ほぼ6年ごとに国を変えている。シンガポールのときは次はオーストラリアと考えていたが、中国語に取り組んでいたために台湾に目標を変えた。台湾の次は中国大陸か、香港を考えていたが、途上国ならば人間についての学びや気づきが多いのではと思いカンボジアに移住した。ここで気づいたことをまとめたいと思う。
カンボジアの首都プノンペンは歩きにくい。歩道が凸凹しており、ゆっくり歩いていてもこけたり、足を挫いたりする。またゴミが散乱しており、臭いがしてお世辞にも散歩に向いている場所ではない。そんなとき家族と共にベトナムのホーチミンにバスで行き、District1に滞在した。
ホーチミンでは子供達はマクドナルドを見て感動し、歩行者道にゴミ箱が設置されていることにさえ感動していた。感動とは日常からの乖離なのだ。だからどんな些細なことにでも感動できる。環境さえ変われば。
プノンペンでは移動には主にトゥクトゥクという小型3輪車で移動する。道路にはところどころ速度制限のためにコブのようなものが設置されており、毎朝、コブを乗り越え「ガックン」とトゥクトゥクが上下に揺れ、トゥクトゥクドライバーが声をあげて喜んでいたら、しばらくして自分も一緒になって声を上げて喜んでいたことに気づいた。笑いのツボは感染るのだ。
また雨が溜まり、道路を水飛沫をあげて走ると自分は「わー」とか「おおぉ」などの声を上げるようになった。水たまりが楽しい。日常がスプラッシュマウンテン。水たまりが深いとトゥクトゥクのエンジンが止まってしまうため一定のスリルもある。
ある日のこと、家の前で段差を乗り越えようとしたが、つまずき、こけそうになったが、バランスを崩し前のめりになりつつも、なんとか踏ん張り、転けずに持ち堪えた。後ろで座って見ていた工事現場の若者たちは、自分がバランスを崩したら「おおぉ」と歓声を上げ、踏ん張り切ったら喜んでくれた。歓声を受けるようなことではないので、自分は照れながらも笑顔で工事現場の若者たちに応えた。体操選手でもない自分が、バランス感覚で歓声を受ける日が来るなんて。
徒歩40分のところにセブンイレブンが開店したと聞けば、炎天下の中汗だくになって、セブンイレブンまで歩いてき、店舗に入らずとも看板を眺めているだけで想いにふけることができる。また店舗に入り、人生初のプノンペン、セブンイレブンデビューの商品を何にしようかと、ひと通り商品を見て考え、やはりサービスを確認しようと、カウンターで煎れてもらうアイスカフェラテを頼んだ。値段の割には大きいサイズ感。また味も台湾で飲んだ味に似ていたことに感動した。
プノンペンではよく高級車やスーパーカーを見かける。自分の乗るトゥクトゥクが信号待ちのため白いポルシェと並んで停車した。青信号になるや、トゥクトゥクは小型で軽量なため加速が良く、ポルシェを置き去りにしていく。そもそもプノンペン市内の速度制限は時速40キロで、道も狭いのでトゥクトゥクに分があるのだ。トゥクトゥクの値段がUSD3Kとして、ポルシェがUSD300Kの値段と仮定するなら、そこには百倍の資本効率があるのではと喜ばずにはいられない。
コロナのせいで日常が単調であったのも理由の一つだが、日常で刺激が薄いと、感受性が上がり、過去決して喜ばなかったことに関しても喜びを感じ始め、幸福感が上がる。
幸せとは幸福感のチャネル感度をあげ、嫌なことへのチャネル感度を下げることで成就できる。だがその感度をチャネルごとに、自分で意識的に変更することはできない。だから環境が重要となる。 上座部仏教が出家を進めているのも同様の理由によるものではないだろうか。