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 経済学事始 其の一

大多数のシンガポール人は昔カンポン(マレー語で村)といわれる平屋に住んでいた。家には庭があり、そこでは鶏を飼い、パパイヤなどの様々トロピカルフルーツがなっており、熱帯雨林気候の恵みに支えられ自給自足に近いことができた。

ずっと関東圏に住んでいた人が九州に単身赴任した。そこでのカルチャーショックに一つに多くの人が田畑を所有(実家も含め)しており、「食うに困る」という恐れから開放されていることだ。たとえその田畑を売りに出して1万円しか値が付かなくともそこにはそれ以上の価値がある。今ある仕事を投げ出し、ミュージシャンの夢を追いかけ、そして失敗しても食べ物には困らない。そこには計り知れない「安心」がある。

経済は貨幣を仲立ちにして「交換」を前提としている。言い換えれば消費者(consumer)、生産者(supplier)の役割が別個に存在し財が生産者→消費者、貨幣が消費者→生産者と移動することに「市場」を見出し、「市場」が大きければ大きいほど経済規模は大きくなる。そして人は「交換」なしに自足できなくなる。

アフリカ、アジアの国々で一見、自給自足でどんなに幸せそうにしている人もドル建てで所得水準を測れば最貧と分類される。彼らは貧しいのでない。自足しているのであり貨幣経済に取り込まれていないだけなのだけど。彼らからの自足の術を奪うため、開発の名のもと道路を作り、援助物質として穀物を送る。麦、とうもろこし。自足自給していたときには食べていなかったものを安いという理由で導入し以降、市場価格の変動にさらされる。そこまでしても市場原理を導入する利益は何であろうか。

人が「交換」なしに自足できなくなるとは「相互依存」の関係を構築することに他ならない。相互依存の関係は足かせとも見えるが、運命共同体としての価値観の共有を促進する。

また交換を前提とした経済は自給自足を前提とした経済より「協力」を構築しやすい。一人ではなしえないことを「協力」を通じて成し遂げていく。人が自然と貨幣経済を構築していった理由ではないかと考える。