これから「権力」の話をしよう
権力はもの凄く魅力的。そしてより権力に近い人々は、その魅力をより肌で知っている。だから国家の政治は権力闘争の場となる。国家権力は強大で、その椅子に座るものは大きな権力を得る。明文化された法律・権限も、言葉で定義される限り、文脈そして解釈によってその運用は変化する。権力は権力を行使する側につき、実際に運用することで影響力となる。
社長になりたいな、首相になりたいな。権力に憧れるのは古今東西、至極当然のこと。本来は権力をどう用いるかが大事だとしても、権力を得ること自体が自己目的化することも、人間の本性に根ざした当然の帰結。
「権力闘争はいけない」とか「国民のことを考えろ」とう言葉を、権力奪取を自己目的化している人々に投げかけるより、権力を求める人間の本性を利用し、国家・国民に貢献したものが権力の座に着き、維持できる仕組みを考えたほうがよい。現在の日本は「党内で徒党(派閥)を組む」ことが権力の座をもたらす仕組みとなっている。
自分は道州制を導入し、首相は道州の知事として功績を挙げた人のみが首相になれる仕組みがあればよいと思う。中国のように市長として功績を上げた人が中央に、都市銀行のように支店で業績を上げた人が本店に行くように、地方で一旗揚げた人が、その実績をもとに国家の首相となる仕組み。
具体的には、道州制を導入した後、日本国の借金を個々の道州に割り当て、それを一期でどれだけ減らしたかを競争させる。そして一定の成果を挙げた道州知事に対し、国家の首相に立候補できる権利を与える(永久に)。十数年立てば、能力と実績がある程度、担保された首相予備軍が出来上がる。首相予備軍から選ばれた、首相は原則として任期満了を前提とする。
権力の正当性に「党内で徒党を組む」という民主主義の原則だけでなく、過去の実績と貢献という能力の要素を加えることは、「民主主義」という「手続き・過程」の正義に加え「実績」という「結果」の正義を加えることでもある。これにより、実績を競いあう政治が生まれ、同時に日本国が財政破綻の危機を乗り越えることを希望する。