孟子と荀子
孟子と荀子は同じ「儒家」に分類されるが、孟子は性善説、荀子は性悪説と人間に対する前提が正反対だ。中国古典を読んでいて思うのは儒家、老家、法家などの諸子百家の思想はお互いに競い合っただけあって、前提や結論がそれぞれ異なる。しかしそのすべてが説得力に満ちている。
たとえば孟子は「子どもが井戸に落ちそうになれば人は誰でも慌てる」。これは人には他人をいたわる気持ちが存在する証拠で、人の本質は善であると説く。荀子は「人の本質が善ならば、なぜ聖人を必要とするのか」と説き、人の本質は悪であると言う。両者とも古今東西の書物に詳しく、歴史・実例を挙げて雄弁に、そして論理的に自説を述べる。孟子は荀子より前の人だから、荀子の反論に対しての記述はないが「五十歩百歩」などで知られるよう、孟子はレトリックの達人であり、もし彼の反論が聞かれれば説得力を持っていたに違いない。
相反する主張がともに説得力を持つ。「あれ?」と不思議な感じがした。思うに前提もしくは結論は「決めの問題」であり、あとはどれだけ説得力をもって相手に伝えられるかが重要なのでは。「正しさ」は一直線に並ぶ2次元的世界(前か後ろかだけの世界)ではないのだ。別の言葉で言えば「互いに直交」、つまり異なる自説は方向性(矢印の向き)が初めから異なり、同じ直線上になく、どれだけ長くその矢印の向きを原点から伸ばせるかは、人の努力と才能に依存している。つまり思想における結論の正しさは、個々の人間と自説を支持する事例が散見される時代に依存しているといえよう。
もしあるA家とB家が似たような説を展開すれば、時間とともに両家は統合されていく。諸子百家の魅力は説の多様性、そしてそれぞれが競い合った結果、すぐれた説得力を獲得したものが生き残り、時代を経て読み継がれてきたことにあると思う。また様々な主張が対立しているため、個々の思想を絶対的なものとしてでなく、相対的に捉えることができる。互いに相反する主張が、互いに説得力を持ちえる。このことは一方的な正義を強く必要としている人間や社会には受け入れられることではない。
参考
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