Get Things Right

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 人間理解 其の三 

「人」という字は「人と人が支え合う」形をしている。

人間は他の人間(異性)なしに、子孫を残すことが出来ない。その意味においてひとりの人間は不完全である。人間の赤ちゃんは他の動物と比べて無力の存在のまま生まれてくる。そこには生存、繁栄の前提として他者との関係がある。

お腹の中にいる赤ちゃんは自我がない。自我がないとは自己と周りの区別がなく母親と一体となっていること。それが生を受け、泣きわめき大声を出しても、ミルクをもらえなかったりだっこしてもらえなかったりと、他者や環境が自分の思い通りにならない経験を通じて、自己と他者の境界線を学び、受け入れていく。その境界線を受け入れられない場合、自我を消すという行動を人間はとることがある。死を通じてもう一度、自己と周りの境界線を消し去るために。

男女のパートナーの関係は、お互いを知らない他人という疎遠な関係から始まり、お互いを知り、信頼関係の醸成とともに互いの存在が近くなる過程をへ、そして自我が一時的にしろ、急激に下がる行為に到る。またいつも一緒にいれば、お互いを補完し合う二人で一つのチームアイデンティティのようなものが生まれる。子供が出来るとそれは、パートナー関係とは逆に、依存とも言える非常に近い関係から始まり、子供の成長とともにお互いの自我を認め合う別々の存在となっていく関係が始まる。前者は依存へと、後者は独立へと。両方の関係は、互いに相反しているようにみえるが、根底のところで相手に取って何がベストかという他者への思いやりがある。

自我を確立し、独立した存在になろうとも、人間は本質的に不完全な存在であり、そこには限界がある。その上、年を取れば体が弱り、必然的に依存した存在になる。だから体力と同様に若いうちに独立心を高めておかないと、年齢を重ね実際に自分で出来ないことが増えた時、精神的にも非常に依存した老人となる。周りに感謝するのではなくひたすら自分以外に不満を向ける老人に。もしくは過去に依存した老人に。

久々に東京で通勤している会社員を見ると、みんな同じような色の服を着ている。特に会社説明会にくる学生などは、「自分で考えた」形跡が全くない服装をしている。日本社会は非常に自我を抑制する社会だなと改め思う。悪いことではない。大きな組織に勤めれば、人は小さな歯車になり自分の存在の重要性は、他者の上に立つ(もしくは人の下につく)という他人との依存関係になるのだし、自我を抑制することは集団行動に適にしているからだ。ただ、依存関係はくびきになる。状況が変わり、変革や変更が必要な際の障害となり、そして悲劇ともなりえる。

参考

愛するということ 新訳版

愛するということ 新訳版

文庫 平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 (草思社文庫)

文庫 平気でうそをつく人たち 虚偽と邪悪の心理学 (草思社文庫)