経済学雑感
お金をばらまけば需要が増え、消費が増え、一時的に経済は拡大する。だが、そこには持続性はない。バラマキをするには財源が必要であり、財源には限りがあるからである。
単純な話に落とそう。ある島に2つの部族があり、一方は農業を営み野菜をつくり、片方は漁業を営み、魚をとる。2つの部族とも野菜と魚を日常的に食べている。だから2つの部族は日常的に魚と野菜を交換している。貨幣を介して、交換してもいいし、物々交換でもいい。この場合、交換には持続性がある。お互いに一つの財に特化し、且つお互いにお互いの財を必要としている構造があるからだ。
このように、持続可能な経済とは、経済は等価交換の原理で成り立つ限り、お互いが他方に何らかの形で、必要とされるものを持っている必要がある。現代の経済に照らし合わせれば、人は何か売れる企業に就職しているか、直接なにか売ることができるものがあれば、収入ができ、経済活動に参加できることに相当する。そのハードルは近年、相当上がっていると思う。少数が多数の需要を満たすことができるからだ。
経済学では需要と供給に分けて考える。しかし本当は需要するのも、供給するのも両者とも人、出処は同じ。需要曲線と供給曲線を紙に書き、需要曲線を右に動かせば、(供給曲線に影響を与えず)経済が拡大するという、紙の上だけの概念で議論をすすめると、簡単に現実から離れた議論が横行する。特に経済学のように、実験することができない社会科学の場合は。
需要と供給に分けて考えることは、色々な現象を曲線の形や位置、そして傾きなどすべてを統合的に提示できる素晴らしい、アイデアであり経済学を大いに発展させたことは疑いの余地はない。しかし、それを独り歩きさせ、供給だけ、もしくは需要だけを考慮すれば良いと、議論が進み、政府が赤字を垂れ流すことを良しとする議論も不可能ではない。経済学は社会学であるため、最終的に、その国の学問の成熟度に依存する。