Get Things Right

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 人間理解 其の四 自我は部分としての自分を規定し、全体の中での役割を決める

自我は他者との関係を規定する。自分が全体なかの部分として、どの位置を占めるのか。言い換えると自分という意識は役割分担の礎となり、全体最適の為に機能する。

例えば、自信をつければ積極的になり、より大きな責任や役割を担おうとし、自信がなくなれば、自己主張は少なくなり、控えめな役割に甘んじる。これはすべて自分という自意識が他人と自分の位置関係を受け止め、全体での中での役割を規定している。「自分」という意識が「他人(全体)」の為に機能していると気づいたときは、驚いたが、自分という意識は他人との区別化であり、なぜ区別化が必要かというならばそれは、全体の中での部分として効果的に機能する為にあると考える。 ちなみに魚や、アメーバなどは集団で動くが、自我がないため機能しての他者との区別化がなく、それぞれが同じ役割を担う。翻って人間が高度な文明を築いたのは自我に基く、役割分担を担う機能があったからでは(奴隷制も然り。良い悪いは別として)。

どこの国でも「壊れた人」を見かける。一人でブツブツ小声大声て話している。精神に異常をきたしても、言葉という他者を前提とする機能を効果的ではないにしろ、使い続ける姿に人間の社会的動物としての性を見る。また殺人事件などでも、トラックやナイフを使ったり、自分より弱い相手を選んで事件に及ぶ。これは自分が弱者であることを明確に知り、それよりも弱い相手、もしくは道具を使うことで自分が他者より強い立場で犯行に望むだけの分別があることを示す。

その他に、自分の身近な例として知り合いの親戚に優秀な男兄弟がおり、兄が東大に合格した途端に、弟は大学に行くのをやめ、芸術家を目指し始めた。弟も勉強はでき、東大とまで行かなくとも一流の大学には行けると思われていたため、親戚一同、弟に再考を求めたが、頑として受け付けなかった。

「自信をもつ」というのは大事なことだ。自信のレベルで自身が想定しえる役割の範囲を規定するからだ。また、現実には自分よりも能力の高い人が存在しても 、自己顕示欲の強さや、神を信じて自分の役割に確信を持つ人は、能力の高い人を押しのけて、その役割を担うことがある。だから非合理の中にも強い合理性がある。(ちなみに自分はこれがパレスチナ問題の原因と考える)

また自信は確信に満ちていなければ、崩れてしまう。 だから子供の頃に浴する理屈ではない存在を全肯定する愛情、日々の生活の中での自身の他者に比べての優秀であることの確認・確信、他人からの承認(異性も含む)が大事。

そして自信と確信を深める社会的なインフラとして、精神的、物質的にゆとりが得られる社会、子育てを行う家族への理解 、実際に違いを生み出すことを意識させるだけの効果的・効率的な教育、他国のまね事だけでない、オリジナリティある文化と歴史に基く アイデンティティ。夢、目標を制限しない社会の包容力、等々の環境面が挙げられる。