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 比較優位に基づく人生戦略 その一 比較優位論とは

比較優位とは経済学用語。ある弁護士Aさんがいて弁護士は法律事務をすれば時給1万円。その弁護士はタイピングにもすぐれ、タイピストとして働いても時給5千円稼げる。もう一人は学生のBさん。彼は法律事務をすれば時給1千円、タイピストとしては時給100円の人だ。

弁護士Aさんは法律事務でもタイピストとしても学生のBさんより50倍もすぐれているが、弁護士Aさんにとって時給の低いタイピストの仕事は学生Bさんに任せたほうが、割のよい仕事に時間を費やせる。また学生Bさんも職にありつけ、全体の経済としてより大きなお金が生み出されるようになる。経済学用語では弁護士Aさんは法律事務に比較優位をもっており、BさんとトレードすることによりBさんは経済活動に参加でき、Aさんは自分の比較優位に特化でき、結果として経済全体のアウトプットが最大化する。

Aさんが法律事務でなくタイピストとして一時間働くと本来稼げるはずの1万円が5千円になるため、社会としては5千円の損。Bさんの場合は900円の損。この損を機会費用といい、Aさんの機会費用はBさんのそれより大きいためAさんに法律家として働いてもらうこと方が経済全体のアウトプットが大きくなる。

AさんがBさんに富の移転をしなければ、Bさんは経済全体の効率化の名のもとAさんのために時給の低い仕事に縛り付けられているだけといえる。この構造はAさん、Bさんを国家に置き換えた国際貿易が盛んな世界経済にも当てはまる。富めるものがより豊かになり、貧しいものがより貧しくなるという仕組みに見えるからこそ経済のグローバル化に反対する勢力がいるのだろう。

ではグローバル化に反対すべきか?自分はそう思わない。視点を国家のレベルから個人のレベルまで粒度を下げた場合、比較優位論は非常にダイナミックなものになる。誰とトレードするかは無限の組み合わせ(三角トレード、バリューチェーンの構築も含む)があり、また今日の比較優位が明日の比較劣位にもなりえる。さらに非常に大きな比較優位とみなせるものがところ変われば比較優位でなくなることもあるからだ。たとえば英語。アメリカ人が日本に来れば英語を話せるというだけで英会話の講師になれ職にありつける。しかしアメリカで職を探すという観点からすれば英語を話せるというのは比較優位でもなんでもない。

粒度を個人レベルまで下げたときに見えてくる比較優位のダイナミズムは経済が価値と価格の交換に依存するという部分に注視しやすくなるからだ。価値は主観的である。たとえ今日は時給100円のタイピストだとしてもより効果的なマーケティングや付加価値とともに明日の時給1万円のタイピストになるもの不可能ではない。たった一人、自分が生み出す付加価値を認め一万円払ってくれる人とトレードすればよいからだ。(1円を払ってくれる人1万人とでも同じ経済効果)

価値という伸縮自在の尺度が跋扈する経済社会の中自分がどのようにして比較優位を見つけ、または構築していけるのか人生戦略論の立場から考えてみたい。

Reference:
http://ja.wikipedia.org/wiki/比較優位