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恐怖の連鎖と多様性への信頼構築

中国の歴史は、闘争の歴史でもある。春秋、戦国時代。三国時代然り。そして満州人、蒙古人、漢族などが熾烈に戦い合い、お互いに征服王朝を樹立してきた。最後に国を樹立したのも、毛沢東による国民党との武力による勝利の結果である。多くの中国人が現在の共産党支配を、最良のものとは考えておらずとも、動乱こそ恐れるものであり、だからこそチベットや台湾の独立は、絶対に許されるものではないと考える。そこには現在の支配構造が崩れた結果、中国国内はいくつもの国に分割され、内戦状態、すなわち平和な時代から動乱の時代に陥ることへの“恐怖”がある。

中国の歴史を知らずに、民主主義ではないという理由で、共産党支配を非難する欧米のメディアに憤る中国人は多い。第一に内政干渉である。他人が自分と違うという理由で非難される道理はない。第二に、イラクで米国によって民主主義が持ち込まれた結果、民族間の争乱が激しくなり、いまだにイラクは内戦状態である。第三に民主主義は完璧ではない。日本、米国を見ても、民主主義選挙が必ずしも、国民の生活を豊かにするための最善の方策をとる政権ができる訳ではない。経済を成長させ、国民の資本の牌を大きくするという意味では、現在の共産党は両国の政権と比べて優れている。

動乱の時代に陥ることへの恐怖は、生死が関わるだけに様々な施策への道理となりえる。地域によって英語、ドイツ語の違いより大きい言葉の差異があるにも関わらず、それらの差異を言語としてでなく、方言とみなし標準語(普通話)への変換を進める。もしくは歴史的に異なる民族に対して「中国人」という近代に入って作られた新しい概念で差異を覆い隠すなど。香港においても普通話教育が進められる現在、中国という広大な土地に存在した差異は、ここ数十年で大きく姿を変えようとしている。そして差異を「中国人」という概念で覆い隠す、その勢いは日本を含む辺境の国々に強い恐怖を与え、国内では少数民族とされるチベット族蒙古族ウイグル族などの悲劇を生む。その悲劇こそ、近年見る動乱の原因であり、チベット族の暴動を押さえ込んだ胡錦濤が、中国の国家主席に選ばれたのも、分離主義から動乱という連鎖への恐怖が根底に流れる。

動乱への恐怖のために多様性を押さえ、それが押さえ込まれた側の恐怖と絶望となれば、次なる動乱への原因となる。次なる動乱への恐怖のため、更に入植政策を押し進めれば、恐怖は一層強化される。

本来重要なのは人々の生活であり、それを支える経済圏である。経済圏を開放し一つとしたまま民族のアイデンティティ、言葉等は多様性を保ったままのほうが豊かな文化、文明の下地となり、人々が悠悠の歴史とのつながりを保つにも適している。しかし多様性が、動乱の原因となり、経済圏を保つことすらままならないと考えるなら、多様性を抑えることが正しいことになる。

易性革命で王朝が変わるたびに、人口が激減してきた中国の歴史。たとえ現行政権への不満があろうと、政権が変わることにともなう動乱への恐怖が大きければ、政権交代の仕組み考えることすらタブーとなる。結果、現行政権が永遠ではないことは、誰もが認めるところであるのに、スムーズな権力移行の仕組みが構築されない。たとえば現在、人民解放軍共産党の軍隊であり、国家の軍隊ではない。そのため、軍の存在とスムーズな政権交代は相容れないものとなっている。

恐怖の連鎖を断ち切らなければ、必要な議論がままならない。党内でのスムーズな権力移行の仕組み作りの重要性は認識されている。文化大革命のような形での、権力闘争を避けるためだ。同様に、より大きな意味での権力移行の仕組みを構築しなければ、不幸な歴史は繰り返され、築いてきた富は無へと帰る。それは誰も望んでいない。恐怖の連鎖を断ち切る鍵は、EUの仕組みを学び、多様性に対する信頼を構築していくすべを学ぶことにあると思う。EUは戦争惨劇を繰り返さないための知恵であり、多くの国々は自主的に参加してくるだけの求心力を持っているからだ。