ニュートン
ニュートンは神の存在を信じていた。そして神の存在の証を世の中に見出そうと、異常なまでの情熱を燃やし、ついに天体の運動にシンプルな原理を見出した。その原理に従えば、未来の天体運動のみならず、過去の天体運動さえも見出すこともできる。そしてその原理は天体の運動のみならず、地上の運動にも通じるものであった。
世の中の現象が原理によって支配されている。原理によって過去、現在、未来が説明できる世界は、機械仕掛けを連想させる。ハンドルを右に回せば時が進み、左に回せばビデオの逆再生のごとく時が戻る。世の中が機械仕掛けであるならば、その機械を作った人が存在するはずだ。ニュートンは原理の発見より、神の存在を確信したのではないか。
興味深いのは一般の人は、原理の発見を全く逆に捉えた。世の中が神の意思で動いていると信じていた彼らにとって、原理によって説明される世界は神の意思が働かない世界だ。一度動き始めた後の未来の動作は既定とするなら、そこでは “神の意思”が働く余地は見えない。
加えて一般の人はニュートンが発見した原理は理解できない。原理がシンプルなだけに、必要ならば原理を公式のように丸暗記して、機械的に計算することはできても「なぜ」そうなっている分からない。結果、一般の人にとって盲目的に信じる対象が、神から「ニュートン(と原理)」となる。
神を深く信じ、情熱的にその存在の証を追い求めたニュートンが結果として、一般の人から信仰心を奪い、神のように崇められる。皮肉ではあるが道理でもある。彼が原理を見つけたときに得た感動と驚きは、一般の人々とは共有されずに、原理は便利な道具として認知されるからだ。原理は発見したものにとっては神の存在を感じる手がかりとなり、学ぶものにとっては発見した人間を崇拝するきっかけとなる。
できれば自分も原理を学ぶものから、原理を発見するひとになりたいものだ。
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