差別化の経済学
外資銀行のフロアレイアウトは支店に入ると、まず手前にカウンターがあり、受付もお客さんも立って対応する。必要がある際には、奥に通され座って対応されることもある。日本の銀行と違って随分効率的だと思っていたが、その本質は効率性ではなく「差別化」にある。
「並ぶ」、「立ったまま対応」、「一人の受付が大勢に応対する」これらはプライベートバンキングサービスを受けている人は経験しないことだ。営業マンが顧客に直接対応し、銀行のカウンターにとって変わるから。「銀行」が貴方の方に出向いてくるのだ。
最近まで、インターネットバンキングが普及すれば、普通の人もあまり銀行のカウンターに並ぶ必要がなくなるためプライベートバンキングは下火になっていくと思っていたが、最近は「差別化」さえできれば顧客を増やしてことも可能だと思うようになった。銀行によっては差別化のため、わざわざサービスのスピード、質を落とすこともあると聞く。
一番大事なことは差別化で顧客に「貴方は特別な人」という気持ちを与えられるかどうかだ。美しく、グラマラスな営業の女性に笑顔で「Thank you for banking with us!」と言われるのと、同じ言葉を電子音で聞くのでは明らかに質が違う。お金が余るほどある人なら、少々手数料を取られようとも、前者を選ぶのだろうか。残念ながらお金持ちの気持ちは、なってみないと分からない。
考えてみると先進国では基本的な欲求は既に、充足されている。そこからはどれだけ自分が特別か、人と違うかと感じることが大事となってくる。車も高価なものを買ったとしても、行き先に特別なものが用意されるわけではない。飛行機のファーストクラスは毛布の厚さまで違うと広告に書いてあったが、室温はエコノミークラスより寒い訳ではない。
食べ物も、着るものも、乗るものも「差別化」があってこそ異なった料金を請求できる。「すべて技術でリアルタイムサービス」と考えていた自分が「サービスの質」を落とすことで「差別化」を計り収益を上げてることを知ったときには驚いた。しかし思い出してみると、それはミクロ経済学理論そのものだ。例えばある本を豪華装釘版として1000円で売り出し、同じ本を文庫本として500円で売れば、1500円の売り上げが立つ。一方で差別化せず、800円という一つの価格で売り出せば、1000円払う気持ちがあった人には800円で売り、200円の損。500円で買う気持ちがあった人は800円では買わずに、500円の損となる。売り上げは顧客が払ってもよいと感じるそれぞれの最大限の価格で全員に売れば、最大となる。
すべての人に整理券を配り、すべての顧客を平等に出迎え、頭を下げる銀行のサービスは思想的には優れているのだろう。民主主義の理想にも合致しているといえる。ただ人に「差別感」、「優越感」を与えられないサービスは利便性に勝る同等のものにとって変わられる、もしくは激しい価格競争にさらされるため生き残っていくのは難しい。