Get Things Right

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数学と政治について 演繹と帰納の視点から

現実は不定だ。物理学が見出したように、時間の流れは一定に見えても、観測方法を変えれば違う結論を現実は提供する。現在見えている現実は、どのような方法であれ、新しく見出される現実に常に上書きされる可能性を秘めている。またそのことが存在証明となっている。

数学の絶対性は、現実から切り離された概念から成り立っていることに由来する。点、直線、三角、四角。自然界に似たようなものは見られるが、それらは概念でないため、推論には使えない。現実から切り離され、その概念を理解するものの心のなかにのみ、存在する概念は、現実からの挑戦を受けず、絶対性を有することができる。

絶対性を構築するため、数学は現実からではなく、公理とよばれる幾つかの概念から出発する。そして、その体系は演繹的になることで絶対性を保つ。

現実は不定で、概念は絶対性をもつ。だから政治は、演繹的になる。政治は大多数をまとめる必要がある。そのため言葉は最大公約数を求めるような過程において、具体性は消え、大多数にとって聞こえの良い、中身のない言葉が使われる。意味や具体的な行動が定義されていない言葉を使うことによって、大多数の合意をへ、形式的に帰納的に意思決定がされているように見えるが、実質的な意思決定の中身は演繹的になっている。

民主主義的選挙などの「形式的な帰納法」を用いて民衆を納得させ、為政者が「実際的な演繹法」を行使し、自らが実行したい政策を進める。そのために必要な教育が、体験を重視せず、疑問を持たせず、ひたすら暗記をさせ、それを適用することだけに注視した「演繹的教育」。その上で、「意味のないことに意味がある」形式的話し合いに人々を参加させ、同意を確認し、まとめ上げていく儀式とする。

優れたリーダーは上手に演繹的手法を使う。リー・クワンユーの「Green & Clean」, スティーブ・ジョブスの「Stay Hungry, Stay FoolishやThink Different」など。彼らは科学者のように「根拠」を示すことにこだわらない。方向性のみを指し示す。だから優れたリーダーは結果によって判断される。ここで大事なのが、方向性を実現するために、なにをすべきかとう具体的な内容。実際の行動が伴わなければ、指し示された方向性は掛け声だけで終わる。

2つの例をあげよう。

はじめはソニー。先月ソニーは新しいCEOを迎えた。彼のプレゼンは美しい図柄に「One Sony」とシンプルに書かれたスライド。誰も反対できない程の抽象性をもち、演繹的に使用する公理としては十分だ。しかし、実際にサムソンに勝つテレビ、アップルを凌ぐAV機器など、具体的なプランと彼のプレゼンとの繋がりは人員削減以外には見えない。創業期の経営者、盛田や井深は様々な試行錯誤のなか、商品開発や、市場開拓において、現実的困難を克服し、その経験から学ぶことで得られた方向性を帰納的に見出してきたのではないか。そのため彼らの方向性は、経験が根拠となり、具体的な行動と結びつきが強い。しかしそのような困難を経験せず、大組織の中、人間関係のみで登ってくる人材は、演繹的に思考する、似たようなタイプが多いと思う。

もう一つは、日産のカルロス・ゴーン。彼のV字回復プランは、各部署の若いリーダを集めて、実際に数字に対するコミットメントをとった上で、発表したと聞く。そのため、発表時には何をすべきかとう行動について、明確になっており掛け声だけで終わらなかったのだろう。潰れそうな会社では受験生が「落ちる」とう言葉に敏感に反応するように、「終わる」とかいう言葉にみんなが敏感になるため、それに代わる「隠語」が用いられたり、「大きいし、政府は潰さないよねー」という根拠のない楽観が流行ったそうな。みんなが神経質になっている中、コストーカッターよろしく、部門縮小を断行しつつ、成長戦略を実行するには、具体的なプランがなければ人はついてこない。彼は帰納的、演繹的な手法を上手に使い分けることができた人なのではないか。

人は生まれたころは、経験から多くを学ぶ。歳を重ね、経験に頼らなくなってから演繹的な推論が多くなる。効率が良いからだ。企業・国家も同様。年月を重ね、現実・経験から学ばない人の割合が多くなる。だから衰退するのだと思う。

参考
数学についての三つの対話―数学の本質とその応用 (1975年) (ブルーバックス)アルフレッド・レニイ