天才を生み出す下地としての社会
先日ドイツ人紳士と教育について話した。彼曰く天才はどこにでもいる。ただその存在を許容するのは社会だと。
天才とは世の中のパラダイムを変える(paradigm shift)だけの巨大な知的貢献をした人々と定義すれば、近代科学(数学)を構築したガリレオ、ケプラー、ニュートンの貢献は当時中世ヨーロッパのキリスト教権威に支配されていた世界観(天動説、神の役割等)に対する挑戦といえる。結果ニュートン力学がもたらしたものは地動説、初期値とベクトルが分かれば神の意思にかかわらず未来が決まるという当時のキリスト教世界観を大きく覆すものであった。彼らが近代科学構築に大きな貢献をし、その名を歴史に刻めたのも当時のヨーロッパが新しい世界観を許容し、ルネッサンスを発端とする啓蒙思想を育む下地があったからに他ならない。
翻って現代。Youtube、Google。両者とも著作権や既得権益という現在の権威に対する挑戦となっている。技術的だけに注目するれば同じものを作るだけの下地は日本、韓国、中国等アジアの国々にもあったであろう。ただ著作権や既得権益に対する挑戦を許容する下地、もしくは奨励する下地がこれらの国にあるだろうか?
天才は世の中にパラダイムシフトをもたらす。もしその社会にパラダイムシフトについて話し合ったり、認めたりする包容力がなければその社会は天才を生み出さない。世の中に多くのパラダイムをもたらした古代ギリシャは自由に討論する気風に溢れていたという。
シンガポールは教育熱が高い。ラジオを聴いても教育トピックが多いと感じる。多くの子供たちが眼鏡をかけており、実際多くの時間を勉強に費やしている。シンガポールの教育は英才教育であることは間違いない。では世界観に影響を及ぼすだけの天才がこの国から生み出されるのだろうか?。
英国、米国等の国々が社会に様々な矛盾と問題を抱えようとも尊敬される国である理由は世界中の国々が従う原理・原則(たとえば科学)を打ち立てた天才を擁立してきた歴史があるからであろう。
歴史が積み重なればなぜ特定の国だけにイノーベーション(innovation)や科学に対する貢献が多く見受けられるのかという事象に対して理解が深まってくる。それを明示化し適切な言葉に書き落されていく言語の中に英語と共に、日本語が含まれていることを切望する。
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