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おすすめテレビドラマ(中国語学習)

英語を勉強していたときの失敗の一つは教科書を離れて、もっと多彩なコンテンツに早期にふれるなかったこと。念仏のように教科書を音読するのも大事だが、そればっかりだと学習に刺激がなくなり、また言葉は生活や文化と密接に繋がっていることが意識できない。中国語を学ぶときは意識的に映画やドラマを早い段階で見るようにした。以下、おすすめの中国語テレビドラマ。中国語を学ぶ人に参考になればと思う。

 

李小龍傳奇  (全50

 

イップ‧マンの映画で出てきたブルース‧リーの人が主人公を演じる本格的な伝記。海外ロケが多く、映画のシーンも再現され、中国のテレビシリーズの予算の大きさに驚いた作品。カンフーものが好きならば楽しめる作品。

 

https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%8E%E5%B0%8F%E9%BE%99%E4%BC%A0%E5%A5%87

 

 

西遊記2011  (全60

 

https://zh.wikipedia.org/wiki/%E8%A5%BF%E9%81%8A%E8%A8%98_(2011%E5%B9%B4%E9%9B%BB%E8%A6%96%E5%8A%87)

 

妖怪が善人に化けて、玄奘が騙され、孫悟空玄奘を助けるという展開が何度も繰り返され、飽きてしまい、すべて見るのに2年程かかった。ただ西遊記の登場人物はやはり中国語で抑えておきたい。また龍とはドラゴンで口から炎を吹くものと、理解していた為、龍神が雨を降らせたシーンに驚いた。龍は火でなく、水なんだと。そしてこんな基本的ことも知らなかったとは。それだけでも西遊記を見てよかったと思う。

 

中国語の先生にそのことを伝えると「あたなの中国語が上級者に達した際には、西遊記の原文を読みなさい。西遊記の原文に使われている一文字一文字には、非常に美しい文字が厳選されている。それを鑑賞し味わうことができるでしょう」と言われた。勝手に自分の中国語はすでに上級者と思っていたが、その前提が崩され残念に思うと同時に、漢字文化に連なる美学をいつか、理解できるようになりたいと思った。

 

孫悟空はヒーロの役割を担っているが、完全な善なる存在ではない。悟空は無意味な殺生をしたり、善悪の判断が曖昧だが圧倒的な強さを誇っている。また情に厚く仲間を大切にする。そして何よりも数々の妖怪が騙そうとする企みに対して、事前に察知する非常に強い嗅覚を持ち合わせる。組と仲間を守る優秀なヤクザの親分のような存在。存在自体は善でないが、仲間を守れる。それが孫悟空というヒーローなんだと、新しい英雄のあり方に触れられた想い。

 

蒼穹の昴

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%92%BC%E7%A9%B9%E3%81%AE%E6%98%B4

 

浅田次郎原作、日中共同制作。西太后役はおしんを演じた、田中裕子。美男美女で固めている配役陣は見ているだけでも飽きない。皇帝に謁見するための、三跪九叩頭の礼はこのドラマで初めて知った。その他、孤独な為政者が祖廟へ話しかけるシーンや、科挙のシーンなど、文章だけでは得られない理解が得られれる。改革派と旧制派の争いなど、見るべきテーマは多いが、あとになって気づいたのが龍玉に託した「天命」というテーマ。清朝が滅びるのも天命であり、歴代の王朝も滅びてきた。中国語には「我的天! ,天啊 ,老天爺」など「神」ではなく「天」を使うが、「天」とはなにか、「天命」とはなにかを意識するのは中国歴史ドラマの主要テーマだと思う。またそれは中国人の美学を創っていると思う。

 

 

 

 

殺戮荒野(Killing Field)からの生存 コン‧ボーン著

著者のコン・ボーン氏が共同通信社プノンペン支社で働いているときに、AK47という中国製のライフルを中心とした軽装備の赤色クーメルが、アメリカ製の重装備を備えるロン‧ノル軍を破り、プノンペンに入城した。共同通信支局があったラ‧プノン‧ホテル(旧オテル・ロワイアル)の前の赤十字のテントでは、シソワット家筆頭のソマリタ殿下と、その娘、息子が保護を求めていた。赤色クーメルは北京から流している「国民連合開放ラジオ」で処刑リストを公表しており、ソマリタ殿下の名前が含まれていた。現地のカンボジア人はロン‧ロル政権の腐敗に不満があり、赤色クメールによる「解放」を喜んだ。そして地獄のような殺戮が始まった。

 

コン‧ボーン氏は実際に見聞きしたことを書いており、「なぜ虐殺が起きたのか」という自分の疑問に大きな示唆を本書は与えてくれた。一番、印象に残ったのは、赤色クメールの統治は高度な管理社会であったこと。「オンカー」というリーダーのもと、「チュローブ」という子供の監視‧スパイを使い、また「サハコー(人民公社)」をいくつか集めて「コミューン」という単位になり、コミューンはコミューン‧チーフにより管理される。

 

「再教育キャンプ」という名の刑務所は、軽度‧中度‧重度などに分かれて管理され、対象者は「知らないと開けられない缶」などをどのように扱うかなどで、服従のみができるのか、それとも反抗するだけの「知性があるか否か」を判断され生死が決まる。またその判断の材料としてコン‧ボーン氏の過去の経歴・行動を正確に把握しており、監視‧管理、そして評価と執行と、800万人の国で、200万から300万を殺戮するには高度な機構が必要なことが見て取れる。

 

「なぜ殺戮が起きたのか?」。自分の答えは、為政者の目的は人民を管理すること。その目的を達するための最も直接的な方法は、「服従すれば生かし、反抗すれば殺す」。イスラム教に「コーランか剣か」という絶対服従の言葉があるように、殺戮とは服従を強いるための一般的な手段。為政者にとって、人民を支配するための手段として殺戮が有効な手段である限り、殺戮がなくなることはない。異民族の侵略のあと、服従しないものを選別、処刑するというプロセスは、古代から存在し、そして近代では日本軍のシンガポール華人虐殺、台湾での国民党による本省人に対する白色テロなど、殺戮は服従を強いるための一般的な手段。仮に、赤色クメールも殺戮なしに、完全にすべての人民を服従させる「他の手段」があったならば、選別‧殺戮をする必要はないだろう。

 

服従を強いるための手段として殺戮を用いる。それは現代でもなお、戦争が政治的解決手段として認められ、かつ国内でも凶悪犯罪に対しては死刑を用いるなど、先進国でも殺人は手段として認知されている。服従を強いる為政者にとって、重要なの監視をし、服従しないものに共通する特徴を正確に認識して、速やかに非服従者を排除するすること。

 

為政者が民衆に服従を強いるための手段としての「殺戮」を避けるには、服従強制の手綱をゆるめ、かつ個人の権利を尊重する思想‧機構が必要だ。古代ローマでは「クレメンティ」という寛容の精神、異民族であっても元老院に入れる、より民主的な政治機構。古代アジアでも儒教の「仁、恕(ジョ)」の精神、仏教の慈悲が挙げられる。そして現在では「人権」という概念ではないか。現代においては、民衆を効果的に統治するため手段は「監視→選別→排除」だけではない。日本が敗戦後、アメリカの統治を受け入れ、服従的な地位にあるのもパックス‧アメリカーナの服従の中にも自主‧自立が保証されているからであろう。

 

「なぜ殺戮が起きたのか?」それは民衆に服従を強制する為政者にとって、有効な手段だから。また同様のロジックは為政者内部でも適用されるため、高圧的な思想を強制するグループでは内ゲバ(もしくは監視→選別→排除のプロセス)が起こりやすいと考える。高度に情報化される現代・未来においては、上記プロセスの執行は精緻を極めるだろう。だからこそ為政者の性質・資質自体(もしくは理念)が、これまで以上に重要となるのではないか。

殺戮荒野からの生還

https://www.amazon.co.jp/%E6%AE%BA%E6%88%AE%E8%8D%92%E9%87%8E%E3%81%8B%E3%82%89%E3%81%AE%E7%94%9F%E9%82%84-%E3%82%B3%E3%83%B3-%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%B3/dp/4947637404/ref=sr_1_10?__mk_ja_JP=%E3%82%AB%E3%82%BF%E3%82%AB%E3%83%8A&keywords=%E3%82%B3%E3%83%B3%E2%80%A7%E3%83%9C%E3%83%BC%E3%83%B3&qid=1561647483&s=books&sr=1-10

https://globe.asahi.com/article/11991782

http://keaf-japan.com/column/column1.html

ビジネスで使われる中国語 その二 節奏Jiézòuと熱情rèqíng

■節奏Jiézòu  熱情rèqíng

台湾で何度か日本人に対する批判としてよく聞いたのが「熱情rèqín」がない。「日本に旅行にしたけど、日本人って礼儀はあるけど熱情rèqínがないね。なぜなんだい?」。自分は日本語には「熱情rèqín」に相当する概念がないから」と答えている。「熱情rèqín」を辞書的に説明すると、「 積極的に表現する、フレンドリーな感情」。中国語の先生は例として「おせっかいなおばさんが、凄い勢いで見知らぬ他人に、“今日暑いでしょ、これ美味しいよ! これ食べると元気になるよ!、いいから食べな!” ってするでしょ。日本人は礼儀がないと思うかもしれないけど、台湾の人はこれを“熱情rèqín”があると考える」と教えてもらい、目からウロコが落ちた気がした。

 

先日親戚が初めて台湾に来たが「人が優しいね」感じたという。自分もそう思うが、台湾の中部(台中)、南部(台南)からきて、台北で働いている人に言わせると「台北は人が冷たい」という。「熱情rèqín」が足りないのか 

 

場面は変わるが、自分個人に対しての批判として 「節奏Jiézòuが良くない」と言われたことがある。その時は「節奏Jiézòu」の意味がよくわからないので、批評をくれた人に直接聞くことも含めて、色々と他の人にも聞いてみた。

 

「節奏Jiézòu」の原義は音楽でのリズム。それが広がって、例えば「映画の節奏」といえば、映画の中の映像のバランスなど、複数の要素の組織化された編成(Orchestration)などの意味で使われる。

 

直接面と向かって自分に「節奏Jiézòu」が良くないと批判した人は、自分よりも年配の方であったが、自分が上司で彼が部下の関係であった。また職場でも、彼だけは台湾語で通し(自分と話すときは標準中国語のだが)、英語名を持っていなかった 。他の台湾人と相談すると「節奏Jiézòu」が悪いって言われても、部下が上司(もっというと会社の)「節奏Jiézòu」に合わせるべきなのではとアドバイスともらい、少し気が楽になった。

 

その方は日本が大好きで、自分のことを日本人とまで言っていたが、自分との会話のときは、少しいつも興奮・緊張しているように見えた。緊張すると心動が高鳴り、息苦しさを感じる。実際、心身に負担がかかっているだろう。もしかして彼の言う「節奏Jiézòu」が悪いとは、彼自身の心蔵の鼓動リズムと関係しているのではと思い立った。自分はどの言語でも早口で話す傾向がある。それよりも彼にはもっとゆったりとした感じで話しかけ、時折台湾語で冗談なども交えながら話すことができれば、異なった結果になったのかと考える。

 

最後に伝えたいのは「外国人は批判を免れないこと」。なぜなら「熱情rèqín」も「節奏Jiézòu」も、母国語(日本語)に、その概念すらなく、それを「大事にしていない 」と言われても、なんのことすらも理解できないから。逆に日本人が外国人にたいして「あいつは空気がよめない」とか「先輩・後輩の礼儀がない」と日本特有のことを言いことも同様であろう。結局、自分(自国)の価値観を中心におけば、他人(外国人)を批判することほど容易なことはない。

 

参照 

https://cidian.911cha.com/MW1ycW8=.html

https://www.zhihu.com/question/21422343

 

 

 

ビジネスで使われる中国語 その一

 

外国語を勉強して思うのは、教科書で学べる 外国語には限りがある。ある時点で教科書から離れ、実際の現場でその言葉に触れないと、いつまでも使えるようにならないこと。振り返ってみると、人によって外国語を使うシチュエーションは異なり、大学生の会話と、社会人の会話の内容は異なるのだから、教科書で学ぶ言葉とはギャップがあるのは当然。以下、実際に職場で聞いた言葉で印象に残っているのも上げる。

 

■對事不對人 Duì shì bù duì rén

職場で部下が問題を起こしたとき、人の責任を問われる場面が出てくる。しかし人の責任を詰めても、その問題自体が解決するわけではない 。そこで社員の注意を、責任問題ではなく、実際の問題解決にするために「對事ー>物事(問題)に対して、不對人ー>人に対してではない」と向けなければならない。この言葉があるから、 人の責任を詰めることが、常に生産的・建設的な議論に結びつくわけではないことが共通意識となる。中国語には知恵が詰まっていると感じ入った言葉。

 

■沒大沒小  Méi dà méi xiǎo

 

先輩も後輩などの上下関係がきちんとしていない。礼儀がない というのが原義。ただ実際に聞いたのは、ある同僚たちが同じ職場で非常に長い付き合いなので、気心がしれて「沒大沒小」の関係になったと、原義から離れて良い意味で使っていた。

 

■救急不救窮 iùjí bù jiù qióng

 

「便宜一點,行不行?もっと値段下げて?」としつこく言っていたら、返された言葉。案の定、意味が聞き取れなかったので「わかりません!」と言ったら「英語ではHurry, No poorだ」と説明され「我更搞不清楚(よくわかりませんが)」と押し問答となり、結局会議に終わったあと、自分のノートに漢字を書いてくださいと、右隣に座っていた相手の会社の方に頼んで教えてもらった言葉。意味は「急ぎの用事は助けますが、金欠の用事は助けません」という意味。確かに急ぎの用事は、それは一過性であり、対応する方も急げばよいが、金欠はその人の恒久的な状態であり、それを助けても状態が変わるわけではない。お金に関わる実際的な慣用句は中国語にはあるのだなと、関心した言葉

  

■黨     尚+黑

 

上記漢字は、政党の「党」に該当する旧字(繁体字)。台湾で選挙が近づくたびに「政治には期待できないね」など雑談をしていたときに、教えてもらった言葉。英語にすれば「Yet still dark」か。日本語では「まだ、なお、黒い」。字体からして期待できないのが政党なんだと。そう考えると日本語や、大陸中国語では「期待できない黒」が、より偉そうな「兄」に変わったのは、実は意図的なのではないのか。

玄奘三蔵

629年(28歳?)にインドに向かい、3年後ナーランダ寺院(1万人が滞在し、最多で1500人の教師がいたという)に到着した玄奘は、16年後の645年(44歳?)に、657部の経典や仏像(運ぶのに馬22頭必要)とともに唐の長安に戻ってきた。

 

経典の翻訳には証義(訳語の考証)が高僧12人、綴文(文体の統一)の大徳9人(含む彗立)、その他にも筆受(口述筆記)、書手(浄書著)など、また字学、梵文、役人、会計等の係をそろえての翻訳作業。上記の荷物をインドから中国に運ぶのも含めてこれらは国のサポートなしには成し遂げられない。

 

玄奘がインドで見た仏教は全盛期を過ぎていた。釈迦が悟りを開いたブッダガヤの菩提樹下の金剛座は重要な聖跡にもかかわらず、南北の印として置かれた観自在菩薩像の南側の像は既に胸まで没していた。仏教が消えつつある玄奘を目の辺りにした玄奘は五体を地に投げ、むせび泣いた。

 

ナーランダ寺院で戒賢について学んだあとも、高僧をもとめてインド各地を旅し、南コーサラー国では因明(論理)に精通したバラモンについて1ヶ月あまり滞在した。パルパタ国では2年滞在し、根本阿毘達磨(釈迦入滅後100年後に分裂した部派仏教) などを学んだ。戒賢に個々の疑問に答えてもらったあとも、ナーランダ寺院の外で師を求め、更に洗練された経典の解釈をもとめること玄奘は辞めなかった。

 

そもそも、精緻な論理構成は「積み上げ型論理」であり、膨大な情報量が詰め込まれているため、大学のような特別な場所が必要である。少なくとも日々の食料を得るためだけに、時間を費やす人には参加できない。仏教が都市型の宗教である所以である。そして国家が仏教をサポートしてこそ、膨大に積み上げられた論理構成を俯瞰する時間、図書、人材等が確保でき、さらなる緻密な議論を積み重ねることができる。現代の科学とも似ている。翻って、迷信の強いところは「飛躍型論理」であり、みんなが横並びで参加できる余地があること。

 

日本の仏教は奈良仏教、平安仏教ともに、 遣唐使事業を始め、 国家のサポートがあってこそ存在した。鎌倉仏教など一般大衆に浸透したものは、どれも教義を単純化してこそ、広がっていった。

 

論理を高く積み上げるには、それだけ情報が多くなり、まとめ上げるにもリソースが必要になる(例えば梵語—漢語辞典の編纂)。だから玄奘の経典翻訳は、組織化した機構と政治力が必要となる。そして国のサポートを受けるため、唐朝2代目皇帝太宗や、王皇后を残虐に殺した則天武后と否応なしに、玄奘は深く付き合わなければならなくなった 。

 

臨終前に玄奘が訳したのが「大般若経」、全600巻(最後はの阿毘達磨集異門足論20巻)。鳩摩羅什を始め玄奘以前に抄訳(しょうやく)も含め、既にいくつもの漢訳があるのに、なぜ玄奘は抄訳ではなく、全600巻の逐語訳にしたのだろうか。自分は般若経

 

以前「出家して悟りを開き、輪廻を止める」

以後「空という神秘を知り、善行して悟りを開き、輪廻を止める」

 

と、「空」の概念を神秘的なものに拡張し 、出家主義を否定する教義的土台をなしているため、精緻な議論をそのまま翻訳するべきと玄奘が判断したのではと思う。

 

数々の困難を克服してきた玄奘は度々、神秘的な仏のご加護を経験しきたのだから 、仏教にたいして神秘的な側面の導入の正当性を確信していたのではないだろうか。またインドで仏教の没落を見てきた玄奘は、仏法における、出家主義の打破の必要性も確信していたのではないか。

 

最後に玄奘は 「私が玉華寺へ来たのは般若経のためである(略)もし私が死んだら葬儀は質素を旨とし、屍体は筵(むしろ)に包んで山間の僻地に捨てるよう」と語ったという。しかし 実際は高宗(3代目)が勅を出し、葬儀はすべて官給でまかない、長安の南30里(15キロほどか)に塔を建て 、墓前に集まった人は 3万余人に達したという。そして時代は下り、日中戦争のさなか、玄奘の遺骨は旧日本軍により南京で見つかり、その後分骨に分骨を重ね、インド、中国、台湾、日本などの約13箇所で供養されている。

 

664年、玄奘63歳、弟子が「弥勒の内院(弥勒菩薩が説法をしている場所)に生まれ変わられますか」と尋ねると「かならず生まれよう」と答えた後に、眠るように 往生を迎えた。玄奘にとって仏の教えを正確に理解することがどれだけ大事なことかを表すエピソードだと思う。

 

参考

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%84%E5%A5%98%E4%B8%89%E8%94%B5

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80%E5%A4%A7%E5%AD%A6

 

玄奘三蔵 (講談社学術文庫)

玄奘三蔵 (講談社学術文庫)

玄奘三蔵 (岩波新書 青版 D-50) (岩波新書 青版 105)

玄奘三蔵 (岩波新書 青版 D-50) (岩波新書 青版 105)

わかる仏教史 (角川ソフィア文庫)

わかる仏教史 (角川ソフィア文庫)

天竺への道 (朝日文庫)

天竺への道 (朝日文庫)

 

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%91%A9%E8%A8%B6%E8%88%AC%E8%8B%A5%E6%B3%A2%E7%BE%85%E8%9C%9C%E7%B5%8C

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98

https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E5%94%AF%E8%AF%86%E8%AE%BA

https://www.taiwan.net.tw/m1.aspx?sNo=0001114&id=C100_244

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%AE%97_(%E5%94%90)

http://www7a.biglobe.ne.jp/~ikka/ikotu.htm

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%9C%E7%8E%87%E5%A4%A9

カンボジア 出会い

 台湾からカンボジアには台湾系の航空会社二社と、カンボジア航空で合計3者が直行便を就航させている。片道3時間強と近い。今回は台湾からチャイナエアラインプノンペンへ飛んだ。隣なりに座っている外国人に「台湾どうでしたか?」と聞くと、彼はニューヨーク発で、台湾はトランジットだという。

 

彼は50歳で40年前カンボジアからタイの難民キャンプに家族とともに移り住み、その後フィリピンに移され、15歳でアメリカに保証人が見つかり、移住した。フィリピンでは国連が提供する難民の ための適応トレーニングを受けた。難民たちは、子供のオムツなど見ても、何に使うかわからない。そのような先進国の常識を身に着けたあと、ドイツやアメリカに送られるたという。

 

彼はしきりに、「自分はお金持ちじゃない。しかし家を持ち、子供二人は大学を卒業した。だからこれからは自分のために時間を使うのだ」と。プノンペンへの帰郷は40年間で今回が初めて。 また彼は「アメリカは偉い」と。「アメリカには法があり、人権が守られている」という。

 

プノンペンでお昼に、イスラム教徒が経営するハラルレストランに入った。仏教の国なのに、イスラム教徒は多いのですかと聞くと、大きなモスクがいくつかプノンペンにはあるという。またメコン川の水上生活者は基本、イスラム教徒だと教えてくれた。また驚いたのはイスラム教徒は、チャンパ王国(192-1832)という、ベトナムに存在したインド文化を受容した国から来たという。中華文明の影響が色濃いベトナムも、昔はインド文化圏(Greater India)だったのだ。

 

カンボジアで長く働いている人が言うには、カンボジアの教育は「自分たちは偉大なクメール王国を引き継いでいる」ことを強調する。カンボジア人を見ると、インド人、マレー系、中華系など様々な顔立ちがある。店に立ち寄り、華人系の顔の人には基本中国語で話しかけるのだが、中華系の学校を卒業しているだけあり、中国語が上手な人が多い。華僑ならば明確な答えが帰ってくる質問「君の家系は中国からカンボジアに来て何代目なの?」と聞いて回っても「自分の家族も祖先も全員カンボジア人」と皆、答える。意識は華人というより、カンボジア人なのであろう。

ベネディクト・アンダーソンは東南アジアの専門家で「国民」との概念は極めて最近のものであるという。彼も東南アジアというインド文化圏・中華文化圏に挟まれ、宗教的にも人種的にも多様な中で、国民国家を構築した東南アジアの国々を研究対象としたからこそ、「想造の共同体」を思いついたのでは。(まだ読んでいないが、いつか読もうと思う)

 

参考  

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%81%E3%83%A3%E3%83%B3%E3%83%91%E7%8E%8B%E5%9B%BD

https://en.wikipedia.org/wiki/Benedict_Anderson

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%83%B3%E5%83%8F%E3%81%AE%E5%85%B1%E5%90%8C%E4%BD%93

イールド・カーブの逆転

 

その道のプロに話を聞いたので、理解したことを綴る。

 

普段は短期金利より、長期金利のほうが高い。なぜなら長期のほうが不確実で見通しが、短期よりたちにくく、 リスクが高いから。しかし今回、米国市場債権市場では、短期金利長期金利より高くなり、それをイールド・カーブの逆転という。

 

普段、債権トレーダーは短期の低い金利で借入し、長期の高い金利の債権で運用することで、金利差による運用益を得る。そこで大事なのは、債権トレーダーは、短期金利長期金利よりも高い、逆イールドの状態は続かないことを知っており、少なくても短期と長期の金利が同じ状態の、フラット・イールド・カーブの状態になることを知っている。また逆イールド・カーブの状態になるのは、長期金利が上がらず、短期金利だけが上がって逆イール・カーブに なるのではなく、長期金利が下がることで逆イールド・カーブになる。

 

逆イールドが続かない。なぜなら長期金利が下がっているということは、実体経済で言えば、長期の資金需要がないということ 。工場の投資や住宅ローンなどが見込まれず、景気が悪い(もしくは悪くなる)ということ。景気が悪ければ米連邦準備制度FED)が政策金利を下げない理由はない。また短期金利が高ければ、長期債権を担保にお金を借り、短期市場に資金を投入する裁定取引を通じて 、短期金利は下がってくるはず。

 

短期金利は、FED政策金利によって決まる。これまでFEDQEを辞め、政策金利を順調に上げてきたが、今月21日に、2019年もまだ初めの方なのに「今年これ以上の政策金利の引き上げはない」ことを示唆した。このようなことは異例であり、米国の景気が想定されていたよりも良くないこととFEDが認めたとも理解できる。そのため短期金利が下がることを見通せば、今の段階で逆ザヤでも長期金利債権に投資をしても、逆ざやの期間は、政策金利が下がるまでの一定期間であるという見通しが立ち、且つ長期金利は下げ局面であるのだから、逆イールドであっても現時点で低い金利長期金利債権に投資することは、合理的な判断となる。

 

実体経済の多くは、短期で借り長期に投資する。逆イールドカーブは短期の借入れコストが米国を除いて、高くなることであり貿易赤字国などの通貨の切り下げ圧力となる。また短期金利の高騰は調達コストの上昇であり、景気の減速、株価の下げ圧力ともなる。

 

イールド・カーブの逆転は、世界経済にどのような影響を与えるのか。株価が下がれば、政府機関の買い支えがあるかもしれないし、短期金利が高ければ政策金利を下げればいい。つまりPrice Mechanismの否定、ひいては資本経済の市場原理の否定にもつながる。終わりの始まりはもう、始まっているのか。 

 

 参考

https://www.bloomberg.co.jp/news/articles/2019-03-25/POWIRZ6TTDS001

 http://japan.hani.co.kr/arti/economy/33102.html