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玄奘三蔵

629年(28歳?)にインドに向かい、3年後ナーランダ寺院(1万人が滞在し、最多で1500人の教師がいたという)に到着した玄奘は、16年後の645年(44歳?)に、657部の経典や仏像(運ぶのに馬22頭必要)とともに唐の長安に戻ってきた。

 

経典の翻訳には証義(訳語の考証)が高僧12人、綴文(文体の統一)の大徳9人(含む彗立)、その他にも筆受(口述筆記)、書手(浄書著)など、また字学、梵文、役人、会計等の係をそろえての翻訳作業。上記の荷物をインドから中国に運ぶのも含めてこれらは国のサポートなしには成し遂げられない。

 

玄奘がインドで見た仏教は全盛期を過ぎていた。釈迦が悟りを開いたブッダガヤの菩提樹下の金剛座は重要な聖跡にもかかわらず、南北の印として置かれた観自在菩薩像の南側の像は既に胸まで没していた。仏教が消えつつある玄奘を目の辺りにした玄奘は五体を地に投げ、むせび泣いた。

 

ナーランダ寺院で戒賢について学んだあとも、高僧をもとめてインド各地を旅し、南コーサラー国では因明(論理)に精通したバラモンについて1ヶ月あまり滞在した。パルパタ国では2年滞在し、根本阿毘達磨(釈迦入滅後100年後に分裂した部派仏教) などを学んだ。戒賢に個々の疑問に答えてもらったあとも、ナーランダ寺院の外で師を求め、更に洗練された経典の解釈をもとめること玄奘は辞めなかった。

 

そもそも、精緻な論理構成は「積み上げ型論理」であり、膨大な情報量が詰め込まれているため、大学のような特別な場所が必要である。少なくとも日々の食料を得るためだけに、時間を費やす人には参加できない。仏教が都市型の宗教である所以である。そして国家が仏教をサポートしてこそ、膨大に積み上げられた論理構成を俯瞰する時間、図書、人材等が確保でき、さらなる緻密な議論を積み重ねることができる。現代の科学とも似ている。翻って、迷信の強いところは「飛躍型論理」であり、みんなが横並びで参加できる余地があること。

 

日本の仏教は奈良仏教、平安仏教ともに、 遣唐使事業を始め、 国家のサポートがあってこそ存在した。鎌倉仏教など一般大衆に浸透したものは、どれも教義を単純化してこそ、広がっていった。

 

論理を高く積み上げるには、それだけ情報が多くなり、まとめ上げるにもリソースが必要になる(例えば梵語—漢語辞典の編纂)。だから玄奘の経典翻訳は、組織化した機構と政治力が必要となる。そして国のサポートを受けるため、唐朝2代目皇帝太宗や、王皇后を残虐に殺した則天武后と否応なしに、玄奘は深く付き合わなければならなくなった 。

 

臨終前に玄奘が訳したのが「大般若経」、全600巻(最後はの阿毘達磨集異門足論20巻)。鳩摩羅什を始め玄奘以前に抄訳(しょうやく)も含め、既にいくつもの漢訳があるのに、なぜ玄奘は抄訳ではなく、全600巻の逐語訳にしたのだろうか。自分は般若経

 

以前「出家して悟りを開き、輪廻を止める」

以後「空という神秘を知り、善行して悟りを開き、輪廻を止める」

 

と、「空」の概念を神秘的なものに拡張し 、出家主義を否定する教義的土台をなしているため、精緻な議論をそのまま翻訳するべきと玄奘が判断したのではと思う。

 

数々の困難を克服してきた玄奘は度々、神秘的な仏のご加護を経験しきたのだから 、仏教にたいして神秘的な側面の導入の正当性を確信していたのではないだろうか。またインドで仏教の没落を見てきた玄奘は、仏法における、出家主義の打破の必要性も確信していたのではないか。

 

最後に玄奘は 「私が玉華寺へ来たのは般若経のためである(略)もし私が死んだら葬儀は質素を旨とし、屍体は筵(むしろ)に包んで山間の僻地に捨てるよう」と語ったという。しかし 実際は高宗(3代目)が勅を出し、葬儀はすべて官給でまかない、長安の南30里(15キロほどか)に塔を建て 、墓前に集まった人は 3万余人に達したという。そして時代は下り、日中戦争のさなか、玄奘の遺骨は旧日本軍により南京で見つかり、その後分骨に分骨を重ね、インド、中国、台湾、日本などの約13箇所で供養されている。

 

664年、玄奘63歳、弟子が「弥勒の内院(弥勒菩薩が説法をしている場所)に生まれ変わられますか」と尋ねると「かならず生まれよう」と答えた後に、眠るように 往生を迎えた。玄奘にとって仏の教えを正確に理解することがどれだけ大事なことかを表すエピソードだと思う。

 

参考

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%8E%84%E5%A5%98%E4%B8%89%E8%94%B5

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%8A%E3%83%BC%E3%83%A9%E3%83%B3%E3%83%80%E5%A4%A7%E5%AD%A6

 

玄奘三蔵 (講談社学術文庫)

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玄奘三蔵 (岩波新書 青版 D-50) (岩波新書 青版 105)

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わかる仏教史 (角川ソフィア文庫)

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天竺への道 (朝日文庫)

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https://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%91%A9%E8%A8%B6%E8%88%AC%E8%8B%A5%E6%B3%A2%E7%BE%85%E8%9C%9C%E7%B5%8C

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%94%AF%E8%AD%98

https://zh.wikipedia.org/wiki/%E6%88%90%E5%94%AF%E8%AF%86%E8%AE%BA

https://www.taiwan.net.tw/m1.aspx?sNo=0001114&id=C100_244

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%AB%98%E5%AE%97_(%E5%94%90)

http://www7a.biglobe.ne.jp/~ikka/ikotu.htm

https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%85%9C%E7%8E%87%E5%A4%A9