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投資銀行と商業銀行

商業銀行の商品は“貸出”(loan)と“預金”(deposit)しかない。オプションを組み込んだ商品や、為替取引も扱っていることがあるが、基本的にはこの2つだけ。興味深いのは預金、貸出ともに顧客ビジネスなため、顧客が一般か裕福層もしくは法人か個人かで同一商品なのに、部署が分かれることがある。そうすると同一の商品がまるで別の商品のように扱われる。別の例では担保を取って貸出す際、担保の種類が異なることで、別の部署ができ、別の商品のように扱われることがありえる。

一人の人が監督できる人数は限られており、そこにチームができ、その集まりが部署となる。チームの差別化を図れば、部署間の垣根が高くなり、商品自体の特性ではなく、会社の組織形態が商品の特性を決めているかのような錯覚に陥る。

元来「差」がないところで、差別化をともなう競争が行なわれれば、勝負は本質とかけ離れたところで決まる。大きな商業銀行が官僚的なのは人種,国境を超えて共通な事実だ。

投資銀行の業務は、資金調達、M&Aのアドバイス(corporate)。もしく債券(Bond&Equity)の取次ぎ、顧客に変わって価格変動リスク請け負ったりと金融市場商品を取り扱う(capital market)。取引の相手は、比較的大きな法人に限られるため、組織の規模はあまり多きくならなくてすむ。取り扱う商品もキャッシュフローの観点から多様で、様々な条件がある。また細かい単位で損益(PL)が管理され、PLの責任者(マネージングディレクター)が明確になっている。

結果論が先行して人々の業績が決まるため、優秀な人とそうでない人を事前に見極めるのは難しい。特に「本当に」未来が読めると信じている人は、自信に溢れて発言する。またそれが幾度かあたれば、人々がこぞって根拠のない「お告げ」に耳を傾けていたという現象もありえる。そこでは根拠を問いただすことが、結果を前に無意味となる。

投資銀行と商業銀行。国境を超えても、同じような商売をしていると同じような企業文化が定まるからには、そこには何か仕組みがある。一つは規模。大きな単位で損益を管理すれば、予算の付け替えだけに奔走する管理職が多くなり、組織は硬直化する。細かい単位で損益を管理すれば、小さなサイロの中で権威を振るう大様が、包括的な視点なしに行動する。