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文明の贈り物 その2 普遍性と伝播

インドにはヒンズー教と仏教があるが、日本に来たのは仏教でありインドに残ったのはヒンズー教。中国には道教儒教があるが日本に来たのは儒教であった。自分はどうしてあるものは広く伝播し、あるものは強く根付くのか不思議に思っていた。

結論を言えば、抽象度と普遍性の違いだと思う。書物だけを読めば理解できるものなら遠くへ伝播しやすい。仏教はそれにあたる。初期仏教の本を読むとその普遍性とロジックに驚かされる。儀式的なものを取り入れ、現世の功徳を追うものの場合は伝播に具体例が必要だ。たとえば近所に毎日祈っている人がいて、その人が大成功したなど。隣人が実際に成功しているのを目の辺りにすれば、同じ儀式をしてみようと、影響される。

本当は、祈りの儀式のフォーマットは関係ない。たとえば石像に祈ってもいいし、お線香を使ってもいいし、鈴を鳴らしてもいい。同じことを繰り返したということが認識され、実際に叶ったとき、儀式が原因となったと自分も他人も思えることが大事である。そうして原因(儀式)と結果(成功)を人々が結びつけ、その因果を多くの人が共有したとき、それは宗教となる。この場合の宗教は、普遍性がないため、伝播しにくいが大衆の中に浸透すれば、復元力があると思う。たとえばヒンズー教イスラム教や仏教が深く入り込んだとしても、ヒンズー教は消えなかった。現世利益を得たいと、強く思う大衆の執着、願望に根ざしているものだからだ。

また、人間には因果を説明したいという強い欲求がある。なぜあの人は成功しているのか等々。そのことに簡単な因果関係の説明を与える、たとえば風が吹くのは風の神様の仕業、雨が降るのは雨の神様の仕業と。その土地で観察される事象についての原因を説明する体系もまた、多くの人に共有された場合、宗教となる。たとえば道教

因果関係を結びつけるということは、事象に対して構造を組みこくことである。文明は事象を見るための構造体系であり、物事の見方、考え方を提供してくれる。「原因−結果」という抽象的なものの見方から、「目に見える儀式―目に見える成果」と大衆の執着や願望を見かけだけでも直接的にかなえてくれるものの見方まで、バランスよく提供する文明が、生き残ってきているのではないか。