台湾 その一 台湾人
台湾で一ヶ月働く機会があった。尖閣諸島の問題で新聞は騒いでいたが、台北の街は穏やかそのもの。
台湾で印象に残ったの言葉が2つある。ひとつは「不好意思」。直訳だと「面白くないことですが」で「すみません」のような意味。ただ後ろを通るだけでも、「不好意思」と台湾人はいう。これはシンガポールでも北京でも聞いたことがない。なんでもないことでも、自分から相手を気遣う言葉を言うなんて、と大変驚いた。シンガポールでも中国でも「すみません」のように自分のエゴを抑えて、相手をたてようものなら自分の「負け」となる。道を譲るのでも、どちらが先に引くかというのは大変重要な問題となりえるのだが、台湾の人はそんなことで自分の尊厳を測ったりしない。なぜここまで違うのかと考えたが、思い当たるとしたら、台湾人の中には宗教が、シンガポールや中国人と違って、根付いていること。自分のエゴを見せて、他人より優っているという確認作業を経ずとも、自分の中で安らぎを得る方法を知っているように思えた。これこそ文明だろうと、中国で見た「文化・文明」の旗を思い出しながら考えた。
中国語を話し、中国文化圏でも異なる。似たような体験はある。イギリス人、アメリカ人、オーストラリア人は、英語の国だが、それぞれ全然異なる文化を持っている。アメリカ、オーストラリアはフロンティアの国。イギリスのように社会ではなく、エゴとエゴのぶつかり合いが、人々の境界線を作ってきた歴史がある。だからフロンティアの国では、マッチョ主義だったり、声の出し方が非常に腹の底から出てくるような喋り方をし、相手を威圧して、境界線をより自分から遠いところに引く術(assertive)を身に付ける。フロンティアでは雄弁であることが、家系なんかよりずっと大事になる。
2つ目は英語で「I am Taiwaniese」と自己紹介された時。最初はみんな台湾人なのに、なぜそんな事をいうのだろうと思って聞くと、台湾語を喋れる人をTaiwaneseというらしい。喋れない人はChinese。年配の同僚が初めて小学学校に行った時、学校の授業が中国語で、全然分からなかったという。そして学校では「あなたは中国人」と習うが、家では「お前は台湾人」と言われる家庭が多かったという。そんな彼でも、最終的には中国人と思っている。彼の家族は十数代前に、台湾に移住してきた。彼の家には三千年も先祖を遡れる家譜があり、春秋を超えて殷や周の時代まで、自分の系譜が正統に遡れると誇らしげに話してくれた。
アイデンティティは、自我を底上げするのに使われる。