Get Things Right

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寛容なアイデンティティは非寛容なアイデンティティを飲み込む

中華文明は古代から続く、文明である。西洋文明は ギリシャから始まり、ローマ、イギリスそしてアメリカと担い手が変わり、エジプト文明発祥の地、エジプトは今や、イスラム教という異国からやってきた文明の一部である。

どうして中華文明が生き延びてきたかというと、それはアイデンティティに対する態度だと思う。中華文明は初めから殷と周という2つの異なる国が、お互いに「貴方の物は私の物」と自然に考え、アイデンティティを重ねあわせること出来上がってきた。現代の例で言うならば、日本人が豆腐や漢字を日本文化だと考えると同時に、中国の文化でもあると認めているようなものか。

このように、異なるものを「他者由来でも、自分のもの」とする態度(“也是also”的態度)が文明の生き残りには必須である。その対極にある態度が韓国・朝鮮だと思う。漢字などの使用を禁止し、自分から切り捨てることで他者と差別化しアイデンティティを確立する。遠く古代は、 金族や、満州人、オロチョン族など、ツングース系で癒着語を話す人々を儒学的尺度からみて、洗練されていないとし、「彼らのものは自分たちのもの・ことでない」と韓国・朝鮮人という範囲を狭めてきた。結果、満州人しいては朝鮮族まで、現在では「中国人」という枠に入り、短期的には差別化に成功しているかに見えるが、長期的には将来に渡り、韓国・朝鮮の中国化の道を開いてしまったのではないか。韓国における「孔子は韓国人」などの論理は、アイデンティティの差別化を切り捨てることで、確立したために、すでに自身に存在する儒教を「他者由来」として認めることができなくなってしまった、矛盾の噴出ではないだろうか。

切り捨て、小さな差異に頼ることで、アイデンティティを確立する態度は、長期的には 、異物を飲み込むことでアイデンティティ広げてきた文明の一部になる可能性が高い。後にも書くが、インドでヒンズー教が仏教を飲み込み、仏教がインドから消滅したことにも、通じると考える。よい物はどんどん、飲み込み「自分の物」とし、「学んできた」ことを誇ることが大事だ。

似たようなことは台湾にもいえる。戦後、台湾は多くの中国移民を受け入れた。界隈では、台湾語を話す家と、北京語を話す家が隣同士で、お互いの言葉が通じないことは日常的であった。しかし、大陸から渡ってきた家の子供でも、台湾語を友達から学び、家では奥さん方が、お互いの料理を学び合い、台湾人も餃子を作るようになった。そこには互いに「貴方の物は私の物」という精神があり、それが「台湾人」というアイデンティティの土台となりえた。そこに原住民や、オランダ、日本統治時代をも否定せず、自分たちのアイデンティティ組みこむことで、 台湾というアイデンティティを豊穣のものとしている。地下鉄の車内放送も、客家台湾語、北京語を流しているが、それは全てを「台湾」のものと抱合することで、お互いを尊重しあう、態度の表れであり、それは新しい台湾のアイデンティティの土台になり、持続性を持ちえると思う。