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中国おける民族主義 其の一

人は人生に意味を求める。意味は文脈依存であり、その文脈は個々人の立ち位置で見えてくる景色が変わる。立ち位置はアイデンティティで決まり、アイデンティティによって、何が大事か、大事でないかの見え方が変わる。アイデンティティ自体には優越があるのではなく、また見え方の違いに正否はない。ただ異なるだけであり、相手の視点の理解が重要となる。

孫文は民族、民権、民生の三民主義を掲げた。民族とは漢族、満州族蒙古族イスラム教族、チベット人の五族共和を意味し、これらを中国人とすること。民権は皇帝に在った主権を、主権在民とすること。民生は、民の生活を向上させること。

現代の中国でも民族主義は引き継がれたが、蒙古族は独立し 、満州族は漢族に飲み込まれ、消滅してしまった。またイスラム教徒は自爆テロを行うほどに抵抗し、またチベット人焼身自殺をするほどに抵抗している。これは「五族共和」と言いながら、圧倒的多数の漢族の言葉、文化のみが中国人としての意味を持ち、他族の人は飲み込まれれば最後、自分のアイデンティティを保てば、宗教が肯定されていないため、中国人として価値が無くなってしまうから。現代の中国は多様性を持つ国家だが、中国文明、中国人という場合、宗教を否定し、漢族の圧倒的多数のため、意味が狭くなっている。その原因は人間性、特に宗教に対する無知が潜んでいると思う。

オーストリア公用語はドイツ語。ハプスブルク帝国の崩壊後、ドイツが強大になることを恐れオーストリアとドイツに分割された。だからヒットラー民族主義を唱え、オーストリアを合併した際には歓迎された。現在、オーストリアのドイツ語はドイツのドイツ語と綴りなど、異なってきている。そこにドイツ人である知人が、「スペルが間違ってない?」とオーストリア人に言うと、 露骨に嫌な顔をされたという。オーストリアの綴りはそれで既に正当性を持っており、その正当性はドイツとは異なるオーストリアという国が存在している既成事実から派生している。

台湾では孫文の教育が施され、漢字は古来と同様、簡略化されていないものを使用し、論語など古典の知識も重視される。書類なども大きなハンコで、沢山押されている。現在、中国人が使う簡略された漢字は、台湾では俗に、残体字と呼ばれ蔑まれている。台湾人は中国人と自分たちは異なるという時、それは自分たちがより正統な中原の文明を理解し、近いからという。

台湾の風習では女の子が生まれればケーキを。男の子が生まれれば、おこわ米の弁当(油飯)を配る。弁当には赤く染められた2つのゆでたまごと、チキンレッグが添えられる。あまりにも露骨な演出なので、同僚にこれはこの2つの赤い卵はなんの意味があるのですかと聞いてみると(日本では金ですと。。)、古来中国、中原から続く伝統だと教えてくれた(自分は疑心暗鬼だが)。台湾に逃れてきた国民党が、俗にいう中原から連なる「正統」な文字や文化を教え、強調するのは台湾において、中国大陸との繋がりがなくなれば、それだけ国民党の台湾支配の正当性が薄れるから。

そのことに気づいた時、アイデンティティを教育によって刷り込まれ、台湾が中国との繋がりを保つことで、為政者の台湾支配の正当性を保つためだとしても、それは既成事実として存在し、個々人のアイデンティティとなり、見方を支配しているなら、それは尊重しなければならないこと。アイデンティティは大概、誰にとっても選択肢が与えられていないのだから。

古来西洋では、絶対神を前提とすることで、人間のアイデンティティなどは大海荒波に揺らぐ一滴の雫でしかないという見方を得、宗教によって自主・自由に到る道の考察を得たが、中国では儒教を始めとして忠や孝という価値観、財を蓄えるという価値観、科挙によって万民に開かれた機会などを提供することによって、アイデンティティを同化させる方法論を確立してきた。そのため、自由や民主、そして宗教にたいする理解や、評価が低い。方法論がそもそもとして異なるからだ。そのことが、漢民族アイデンティティチベット仏教イスラム教を信じる人に押し付けるだけの統治政策しか考えつかず 、胡錦濤チベット弾圧を引き置きした遠因となったのではないかと考える。