Get Things Right

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2月28日  

2月28日は台湾では平和記念日として祝日となっている。二・二八事件と呼ばれ、外省人(国民党)による大規模な虐殺が本省人に対して始まった日。なぜ、虐殺という悲劇が起きたのだろう。聞いた話では、その時の台湾人は日本人であった。そこに 中国大陸から日本人と戦った国民党の軍隊と政府が移住してきたのだ。移住してきた人の中には 、家族が日本軍に殺されたという経験をもつ。そして、台湾人(日本人)は日本語で教育を受け、家では福建語を話したとしても、国民党の話す北京語は理解できない。

なぜ、虐殺が起きたのだろうという問に、簡単な答はない。しかし、そこにはお互いを“同じ”とみなさない土壌があり、殺すことの躊躇いが少なかったのだろう。国民党は日本軍と戦っていたのだから。台湾の悲哀は日本人として教育を受け、二・二八事件を経験したあと、台湾人は日本人というカテゴリーから切り離されることによって、虐殺が日本人からも、中国人からも“自分”の問題ではないとされ、既に世代が交代してしまったこと。

5歳の子供(A君)が使っていた玩具を、0歳の弟(B君)が取り上げ、仕方がないなという顔をする。その後、小さな男の子(C君、他人)がその玩具をA君から取り上げると、打って変わって、A君はC君から玩具を取り戻そうとした。こんなに小さな時から“身内”と“外”の違いが人間はハッキリしているのかと驚く。

台湾で生まれ育った外省人の方が、自分は外国人(中国人)な気がするという。なぜですかと問うと、台湾の南で、得意でない福建語で本省人に道を聞くと、彼らは自分が外省人と知り、人によっては無視、空気のように自分を扱うひとがいるという(無論少数だが)。

彼の言う“空気のように扱われる”という経験は自分も、オーストラリアで経験した。英語の問題ではない。ある人がある人を空気のように扱う、無視する、注意を払わないというのは、一種の差別であるが、重要なのは、差別してる方は差別している意識がなく、無意識の行動だということ。差別された側は、自分の自尊心、存在感が否定され、強く意識に残る。 だから自分は差別は無くならないと考える。無意識の行動を、意識的に変えていくことができる人間は少ないからだ。

リーダーシップスキルの基本が“人を空気として見ない”というのもうなずける。目を見て話す、声を掛け、挨拶をする。“ありがとう”と相手を承認する。これら全ては相手を“空気”として見ていませんという、シグナルだ。政治家が選挙の前に手を振り、握手を交わすのも。大多数が、無意識に他人を空気として扱い、少数が意識的に他人を承認するシグナルを送る。だから人間社会は少数のリーダを筆頭に集団的に動くことができる。

参考
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E4%BA%8C%E3%83%BB%E4%BA%8C%E5%85%AB%E4%BA%8B%E4%BB%B6